先週末土日は泣かなかったなー。

山を越えたのか、何なのか。

 

『人はなぜ物語を求めるのか』で

できごとに因果関係を求めがちな人間の心理

でも因果関係が妥当かどうかは別、ということを学んだ私。

 

「人生は無」の境地に少しだけ近づきつつある。

 

最近(特にネットで)他人を批判することに興味がなくなったけど

相手が目の前にいないのに言ったって世界は変わらないからね。

とはいえ嫌なものは嫌と認識しないと、抑圧したところで自分が苦しかったらそれは苦しいし。

 

私がいったい何を言えるというのだろう。

論理学を勉強したら少し違うかなあ。

私が決められる唯一のこと

『人はなぜ物語を求めるのか』で、「世界でひとつだけ選択可能なものは、できごとに対する自分の態度である」という話がある。

 

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」なんてよく聞くけれど、自分の行動だって思うがままにできるわけじゃないのだ。限界があるのだ。

だから、唯一可能なことは、上述のとおり。

そう考えたほうが、納得できる。

だってできごとに理由なんて無いからさ。

 

『或るアホウの一生』で、夏目くんの気持ちの変え方にも通じると思う。

もう将棋は指さないし、将棋のことは考えないって決めたのに、離れられない自分に気づく展開のところ。

天才少年ってもてはやされて、でもそのうち他の天才にとってかわられて、冴えなくなって、認められない(プロになれない)で。

その時夏目は、「一番イヤなのは、負けていじけている自分」だって気づく。

だから、いじけるのを止める=自分の態度を変える、んだよね。

夏目はとても自分に誠実な気づきを得たんだと思う。

 

最近の記事の黒歴史感がすごい

ガラケーでちまちま打ってた携帯日記みたいな風情になってるぞ…

幾度目かの人生

夏季休業最終日の夜、明日からの仕事におびえながら書いています。

お盆の間はほぼ人に会わず過ごしましたが、相変わらず考えがまとまらない日々です。
自分の言葉を残しておくためこの記事を書くこととと、電気を消してとりあえず横になること、どちらが良いのでしょうね?

 

千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』を読んでいます。
そのなかで、<一度生まれの人>と<二度生まれの人>の話がありました。

いま私は三度目に生まれようとしているのかもしれません。
一度目は、産まれてから高校まで。
二度目は、大学、そして某氏との出会い。

「神のために神を捨てる」とか、「消えた佐為はヒカル自身のなかにしか居ない」ということがあるなら、
私もいま某氏にしがみつかず、捨てる時なのかもしれない。

でもそれは、千野さんのいう、「ライフストーリーの編集方針」を、本当に疑うことになるんです。

私は、某氏に出会えてよかったと思った。でもそれは絶対的に良いことではなかったかもしれない。
おかげで今の職場に就職できたし私にとってよかったと思っている。でもそれは良いこととは限らない。
私のことを見守ってくれていると思ったし、本人もそう言ってくれた。でもそれは正しくなかった(私が正しい理解をしていなかったと思う)。

私は成長したと思っていた。でもそれはただの変化で、成長ではなかったかもしれない。それに、成長って良いことなのか分からない。

私は思想を学びたいと思った。でもそんなの私に必要なかったかもしれない。ただただ楽ができれば、それで幸せだったかもしれない。

私は、立派な文章なんて書けない。今書けないし、将来的にも書ける保証はない。むしろそのための努力に欠ける。書く必要があるかどうかもわからない。
もし私の文章が誰かに読まれたり褒められたりしたらとても嬉しいと思うけど、それは私が承認欲求を満たしたいから以外に何かあるのだろうか?

もっと稼げば嬉しいのだろうか?
もっと友達を増やせば嬉しいのだろうか?
毎週良い漫画が読めれば嬉しいのだろうか? 気晴らしができれば良いのだろうか?

こうあるべき、こうありたい、というイメージに、何よりも私自身が合致しない。
私はただただ、頭が重く、寝ていたいだけだ。某氏に愛されたかっただけだ。
思わせぶりな憂鬱を匂わせておいて失恋って、安っぽいって、笑う人は笑えばいい。私だって可笑しいもの。
でも取り繕っても、仕方がない。
今の私にとっては、シンプルに言えばそういうことなのだから。
わざわざ公開しなくていいって、私だってどうしたらいいか分からないのだ。
犯罪じゃないんだからこれくらい許してほしい。

人と出会えることは偶然にすぎない。
友人となれたことも、恋人になれなかったことも、理由はない。
一人の人間と良いようになれなかっただけじゃないんだ、
私は私の、良いと思っていたことや、価値のあると思っていたこと、意味があると思っていたこと、私の思い込みだったんだって知らされたところ。

理由のない世界で、私はこれ以上何を頑張ればいいのか。
千野さんの言うには、諦めること、も選択肢らしい。

今日は8時頃に起きられて、休日だけど職場にも行けて、調子いいなあと思っていたんだけど、(少し負荷のかかることがあって、)また昼間から泣けてしまった。

 

昨日は約束があったので11時頃にむりやり起きたのだけど、出発するまでに無性に泣けてきてしまった。家に一人だったから泣きやすかったんだと思う。とりあえず箱ティッシュ持ってタクシーに乗って、天神に着いて、ご飯を食べて。それでも泣けて、ココイチの店員さんがおしぼりくれた。

そのあと人と会って活動していたら元気になった。

 

で、今日は戻ったかなあと思ったけど、

それでも泣けたわけで。

あ、私いま調子悪いんだなあ。と自覚する。

 

このブログを見ると、7月24日におおきく調子を崩している。

なんとなく悪い感じは、少なくともさらにその1ヶ月前からだ。

その7月24日の気分が、どこかで私のなかで続いている。

いつまでかは分からない。

1週間か、1ヶ月か、10月8日以降なのか、一人暮らしを始められたらなのか、それとももっともっと先なのか。

 

以前よりも、朝起きられなくなった。

業務の都合にあわせて、朝はやめに時間外勤務することが、前は出来たけど、出来なくなった。

集中力、判断力が低下ぎみだと思う。

ひとつの作業を続けられる時間が、勤務時間内であっても、短くなっている。

ものごとを、やろう、とする気持ちの持続時間が短くなってきた感じがする。ふんばりが効かない。

 

まだ、話し方のうえではなるべく明るくふるまうことは出来ている(と思う)。

 

今は、新しいことをする時期ではないようだ。

 

これから私はどうなるんだろう。

 

 

 

喪失したもの

今日も朝からよく泣いた。

 

相談相手とか、慕っている人をなくしたと思っていたけど、

なくしたのは目標だな。

喪失のあと旅をして探し物を見つけないで帰ってくること

ハチミツとクローバー』竹本くんの「自分探しの旅」と、『ヒカルの碁』ヒカルの「佐為探しの旅」は比較して語れるかもしれない。

 

旅をしたから、竹本くんは穏やかな顔で告白ができた。ヒカルは自分の碁のなかに佐為を見つけた。