『メタモルフォーゼの縁側』

『メタモルフォーゼの縁側』のタイトルが素晴らしいよって話をします。

メタモルフォーゼとは、変身・変態という意味です。

作品中で描かれているのは、ふたりの人間関係(身近な男性や家族、友人との関係)です。雪は3年前に夫を亡くしており、うららは趣味を共有する友人を持たず幼馴染の男子とも以前ほど親密ではありません。そんななか、ふたりはどこかで寂しさを感じています(この描写がとてもとても良いのですが、その話はまた今度)。

ところが、BLを介した意外な出会いによって、わくわくする出来事が次々と起こります。年齢が離れた二人が友人となるという奇跡が起きることで、それぞれの生活にもドラマが発生するのです。

彼女らの出会いによって起こる出来事は、高揚感があるもののあくまで穏やかさを基調としています。タイトルの「縁側」の暗示するものは「日常」「穏やかさ」だと思います。
「メタモルフォーゼの縁側」は、自己が変化するための瑞々しい生命力と、地に足のついた穏やかな生活力の両方を感じさせる、この作品にぴったりのタイトルだと思います。

 

補足 2巻以降の展開の予想ですが、1巻では二人の日常が変化したところまでですので、それぞれが他の人と新しい人間関係をつくっていくことになるだろうと思います。期待しています。

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批評を勉強したい…ということで、廣野由美子『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』を参考にしています。
本記事と関連する同書の項目としては「イメジャリー」「反復」になるかと思います。

サンボマスター世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』のサビが好きだ。とくに「今までの過去なんてなかったかのように歌い出すんだ」という部分。

おそらくこの「過去」は「辛い過去」というニュアンスがあると思うけれど、明示されていないぶんだけ広がりがある。どのような悲しみ、辛みを読みこむかは聴き手しだいだ。「新しい日々をつなぐのは新しい君と僕なのさ」という部分にもあるように、「昨日」と「明日」を区切るためのエネルギーがほとばしっている。

また、「歌い出すんだ」についても、何を歌うのかについては明示されておらず広がりがある。ここでは歌いだしの「君の目の前であたためてた事話すのさ」の「話す」と「歌う」が対比されている。
「話す」よりも「歌う」のほうが、祈りのニュアンスが入っていてエモーショナルだ。

 

 僕たちは日々、明日にむかって祈りながら生きている。それをサンボマスターが鼓舞してくれる。

 

 

 

久しぶりに「05410-(ん)」を聴きながら思った。
私はいま結構ほんとうに、根本から変わりたいと思っているんだなあと思う。
 
ひとつ、ラリーがしたい。私が、良くも悪くも一方的に満足しがちな人間だから。
ひとつ、自分や他人を「成長」というストーリーに当てはめたり否定したりしてしまうのも、やめたい。
これらの背景には過去の人間関係からの祝福も呪いもある。
 
ひとつ、選ばれたい。選ばれるために変われるところがあるなら変わりたい。技術を習得したい。
ひとつ、認められたい。私のなかの変われないところを分かってほしい。
こちらの背景としては、自分の限界がうっすら見えてきたことと、まだ自分に期待していることの両方ある。
 
また別の要素として、羨ましさもある。貴重さも感じている。
 
まったく人生は長いけれど、時間切れまでは付き合わされるんだろう。

状況は変わりまして気持ち的には落ち着いております。
まだ生きてるんだなあという感想は相変わらずですが。
(あと私の文のテンションが重いのはデフォルトなんであまりお気になさらず…)(心配されたので。いや心配はされたいんだけど、マジでやばい時は、休むとか、それなりの処置を自分でとれるので大丈夫です)(しんどいなと思う状況でも、睡眠の質と食欲は普通に健全だったので、健康なんだなあと思います)。

柏木ハルコ『健康で文化的な最低限度の生活』6巻を読みボロボロ泣いた。
福祉漫画として良いだけでなく、労働漫画としても好きです。
えみるの仕事できなさと真面目さが、リアルだなあと思うし、共感してしまうんですよね。
54話のえみるの表情がね……。
(読み返して確認してはいないんだけど)彼女の「怒り」の表情って、初めてではなかろうか。
台詞にはなっていなくても、彼女の烈しい気持ちが伝わってくる、良い表情をしている。
えみるは、5巻までは、主人公だからといって特別な仕事が出来たわけではないと思う。でも、54話のあの表情が、赤嶺さんという人の人生を変えるポイントになったんだとしたら、彼女は素晴らしい仕事をしていると思う。
えみるにしか出来ない仕事だったと思う。それが、実に自然に描かれているとも思う。これまでのエピソードの積み重ねがあったからこそ、えみるがあの状況でああいう烈しい発露ができる人(になっていた)ということが、違和感なく読める。着実に彼女のなかで一年間のキャリアを重ねていて、自覚はないかもしれないけれど、彼女らしい仕事をした。不器用でもそれなりの闘い方だってある。それが通用してくれることもある。人を動かすこともある。とても希望的なものを感じた。

また週末がきた

先週土曜から一週間が経ち、あんなに苦しかったのにまだ続きがあるんだと。
後がないという気持ちに近いものを持って一日一日をやっていた。
金曜の後輩との飲み会で、二次会まで全員来てくれたのは嬉しかった。今日の昼には「まだ生きている」と思えてかなり前向きで、長期的なことに気持ちが向いていた。
しかし土曜の夜になり、昼も十分活動していたのに、これからやるべきことがまだ多くあることを思うと塞がる気持ちが蘇ってきた。

自分の気持ちとの闘いだと思う。
自分自身の取り扱いについては大学の終わり頃から意識し始めて随分変わったと思う。

この一ヵ月ほどでいろいろと新しいことを始めたり新しい人に会ったりしている。次のステージに行きたいという思いがある。ただ分かったことは、新しい人と親しくなるためには時間が必要だということだ。当たり前のようだが、今は経験を経てそう思う。

この一週間は特に、この5年程で得た既存の資本(主に人間関係)に頼りきらなかった。
頼ることが出来なかったというよりも、殆どその選択肢が無いというほうが近い。
誰にでも、ある程度悩みを伝え共感してもらうことはできると思う。ただ、私にとって解決を導くことが出来るかは、(相手により様々だが)総じて時間がかかるのだ。そして私たちには時間がない。

既存の資本に頼らずにどうしたかというと、ひとつ言えることは、薬を使った。これは私にとっては薬の効用そのものよりも、「薬を飲んでまで頑張っている」と思うことのほうが大事なようだ。
薬を飲むこと自体に抵抗を感じている場合ではなくなってきたのだ。

たとえなじられたとしても、私自身を尊重される余地はあるはずだ。

とにかく私はもう、他人同士が非難しあうことに飽きている。これについては私の周囲だけの話ではない。インターネット上で潰しあう炎上社会にはもう飽きている。

私の個人的な悩みと社会批判が入り混じっているようだが、それらは実際に繋がっているはずだ。
生活としては余裕のない状態だが、色々と思うところはずっと増えてきている。ものを書きたい。

生きるのが怠くなる週末

爪が伸びている。前髪も伸びている。
一週間(以上かもしれない)何かしらの洗い物が置かれたままだ。
2日前の洗濯物が洗濯機のなかに入ったままだ。
食欲は無いわけではないけれど、何を食べたいのかもわからない。
つい甘いものでごまかしてしまう。最近野菜が少なくなった気がする。
2着のスーツジャケットのうち1着の袖口がほつれて糸がでている。
新しい靴が3足くらいほしい(仕事用に2足買い替えと、週末用にコンバースと、あとできたらパンプスも)。
服も欲しい。かわいいやつ。

毎日録画しているニュースも溜まってきている。

お喋りをするのは簡単だけれどわかったりわかられたりするのは難しい。

ある時期から、漫画や新書にすがるような気持ちが芽生えてきた。
いまは、昨日買った『ブラック・ジャック』(手塚治虫文庫全集のやつ)を少しずつ読んでいる。疲れたら休み、また読めるようになったら読む。
私は小学校三年生の時にBJから教えられた。今も何かを教えてくれるだろうか。

BJの齢が今の私とさほど変わらない20代後半から30代前半だということを知って、まだまだ若かったのだなと思う。他人におもねることのできない純粋さや、不器用さ、許せないものを拒否し、要求するものを要求する凛とした姿勢、ピノコを傍に置く寂しさ、何が正しいのか・何を為すのかという苦悩。そういうものを併せ持つ人間。私にとってはずっとヒーローだったけれど、若者とすら言っていい。
ますます、彼は格好いいと思う。ただ強いだけではないのだ。人間なのに、強い。

トウテムポール先生の作品が大好きだ。「東京心中」シリーズと『或るアホウの一生』が好きだ。手に入るだけ同人誌も買った。
 

とても人生哲学的だと思うのですが一切説教くさくないところが独特で、とても不思議。私だったらもっと押しつけがましく主張してしまいそうなんですが。
 

特徴的だなと思う点のひとつが、突き放し系の展開。

『東京心中4 アンタのドレイのママでイイ』104頁
矢野「お前が俺が大阪に行くことを嫌だと思うのはお前の自由だ 勝手に思ってればいい でもそれを表に出して俺を巻き込むな」
「それ以前にお前は一年かけて勉強して 嫌だと思うことを嫌だと思うだけしかできないのか」
「俺の影響力はそれだけなのか お前はそれだけで済むと思ってんのか」

『或るアホウの一生』1巻 26-27頁
師匠「睡眠はしっかりとる 学校で勉強をする お風呂に入ったり ごはんを食べたり 生活の時間も必要
将棋への時間は限られる
同じ三段の子たちの実力は同じくらい
来月からまた三段リーグは始まる。」
「さてどうすればいいでしょう。」
(高以良)「いや……だからあの どうすればいいんですか。」
「知らない。」


前者が、遠距離になりそうなカップルの片方の台詞。
後者が、将棋のプロを目指す弟子へ向けた師匠の台詞。
どちらもかなりキツい。
 
そしてどちらも当然のごとく「答えは相手自身が考えて出すしかない」と思っている。そしてきっと答えを出してくるということを前提にしている。
 
矢野さんも師匠も、あまりにも当然のように、宮坂や弟子たちを信頼している。
あるいは、自身が相手にしてやれることの限界をわかっている。

 

どちらの場合も、相手が「なんてキツいことを言うんだ、付き合えない」と思って離れていく可能性が十分にある、冷徹だと思う。
しかし作中では、言われたほうは、言葉をしっかりと受け止め、迷走しながらもがく。
その、人と人の間にあるなんだかよくわからない強さが、とても魅力的だ。