状況は変わりまして気持ち的には落ち着いております。
まだ生きてるんだなあという感想は相変わらずですが。
(あと私の文のテンションが重いのはデフォルトなんであまりお気になさらず…)(心配されたので。いや心配はされたいんだけど、マジでやばい時は、休むとか、それなりの処置を自分でとれるので大丈夫です)(しんどいなと思う状況でも、睡眠の質と食欲は普通に健全だったので、健康なんだなあと思います)。

柏木ハルコ『健康で文化的な最低限度の生活』6巻を読みボロボロ泣いた。
福祉漫画として良いだけでなく、労働漫画としても好きです。
えみるの仕事できなさと真面目さが、リアルだなあと思うし、共感してしまうんですよね。
54話のえみるの表情がね……。
(読み返して確認してはいないんだけど)彼女の「怒り」の表情って、初めてではなかろうか。
台詞にはなっていなくても、彼女の烈しい気持ちが伝わってくる、良い表情をしている。
えみるは、5巻までは、主人公だからといって特別な仕事が出来たわけではないと思う。でも、54話のあの表情が、赤嶺さんという人の人生を変えるポイントになったんだとしたら、彼女は素晴らしい仕事をしていると思う。
えみるにしか出来ない仕事だったと思う。それが、実に自然に描かれているとも思う。これまでのエピソードの積み重ねがあったからこそ、えみるがあの状況でああいう烈しい発露ができる人(になっていた)ということが、違和感なく読める。着実に彼女のなかで一年間のキャリアを重ねていて、自覚はないかもしれないけれど、彼女らしい仕事をした。不器用でもそれなりの闘い方だってある。それが通用してくれることもある。人を動かすこともある。とても希望的なものを感じた。

また週末がきた

先週土曜から一週間が経ち、あんなに苦しかったのにまだ続きがあるんだと。
後がないという気持ちに近いものを持って一日一日をやっていた。
金曜の後輩との飲み会で、二次会まで全員来てくれたのは嬉しかった。今日の昼には「まだ生きている」と思えてかなり前向きで、長期的なことに気持ちが向いていた。
しかし土曜の夜になり、昼も十分活動していたのに、これからやるべきことがまだ多くあることを思うと塞がる気持ちが蘇ってきた。

自分の気持ちとの闘いだと思う。
自分自身の取り扱いについては大学の終わり頃から意識し始めて随分変わったと思う。

この一ヵ月ほどでいろいろと新しいことを始めたり新しい人に会ったりしている。次のステージに行きたいという思いがある。ただ分かったことは、新しい人と親しくなるためには時間が必要だということだ。当たり前のようだが、今は経験を経てそう思う。

この一週間は特に、この5年程で得た既存の資本(主に人間関係)に頼りきらなかった。
頼ることが出来なかったというよりも、殆どその選択肢が無いというほうが近い。
誰にでも、ある程度悩みを伝え共感してもらうことはできると思う。ただ、私にとって解決を導くことが出来るかは、(相手により様々だが)総じて時間がかかるのだ。そして私たちには時間がない。

既存の資本に頼らずにどうしたかというと、ひとつ言えることは、薬を使った。これは私にとっては薬の効用そのものよりも、「薬を飲んでまで頑張っている」と思うことのほうが大事なようだ。
薬を飲むこと自体に抵抗を感じている場合ではなくなってきたのだ。

たとえなじられたとしても、私自身を尊重される余地はあるはずだ。

とにかく私はもう、他人同士が非難しあうことに飽きている。これについては私の周囲だけの話ではない。インターネット上で潰しあう炎上社会にはもう飽きている。

私の個人的な悩みと社会批判が入り混じっているようだが、それらは実際に繋がっているはずだ。
生活としては余裕のない状態だが、色々と思うところはずっと増えてきている。ものを書きたい。

生きるのが怠くなる週末

爪が伸びている。前髪も伸びている。
一週間(以上かもしれない)何かしらの洗い物が置かれたままだ。
2日前の洗濯物が洗濯機のなかに入ったままだ。
食欲は無いわけではないけれど、何を食べたいのかもわからない。
つい甘いものでごまかしてしまう。最近野菜が少なくなった気がする。
2着のスーツジャケットのうち1着の袖口がほつれて糸がでている。
新しい靴が3足くらいほしい(仕事用に2足買い替えと、週末用にコンバースと、あとできたらパンプスも)。
服も欲しい。かわいいやつ。

毎日録画しているニュースも溜まってきている。

お喋りをするのは簡単だけれどわかったりわかられたりするのは難しい。

ある時期から、漫画や新書にすがるような気持ちが芽生えてきた。
いまは、昨日買った『ブラック・ジャック』(手塚治虫文庫全集のやつ)を少しずつ読んでいる。疲れたら休み、また読めるようになったら読む。
私は小学校三年生の時にBJから教えられた。今も何かを教えてくれるだろうか。

BJの齢が今の私とさほど変わらない20代後半から30代前半だということを知って、まだまだ若かったのだなと思う。他人におもねることのできない純粋さや、不器用さ、許せないものを拒否し、要求するものを要求する凛とした姿勢、ピノコを傍に置く寂しさ、何が正しいのか・何を為すのかという苦悩。そういうものを併せ持つ人間。私にとってはずっとヒーローだったけれど、若者とすら言っていい。
ますます、彼は格好いいと思う。ただ強いだけではないのだ。人間なのに、強い。

トウテムポール先生の作品が大好きだ。「東京心中」シリーズと『或るアホウの一生』が好きだ。手に入るだけ同人誌も買った。
 

とても人生哲学的だと思うのですが一切説教くさくないところが独特で、とても不思議。私だったらもっと押しつけがましく主張してしまいそうなんですが。
 

特徴的だなと思う点のひとつが、突き放し系の展開。

『東京心中4 アンタのドレイのママでイイ』104頁
矢野「お前が俺が大阪に行くことを嫌だと思うのはお前の自由だ 勝手に思ってればいい でもそれを表に出して俺を巻き込むな」
「それ以前にお前は一年かけて勉強して 嫌だと思うことを嫌だと思うだけしかできないのか」
「俺の影響力はそれだけなのか お前はそれだけで済むと思ってんのか」

『或るアホウの一生』1巻 26-27頁
師匠「睡眠はしっかりとる 学校で勉強をする お風呂に入ったり ごはんを食べたり 生活の時間も必要
将棋への時間は限られる
同じ三段の子たちの実力は同じくらい
来月からまた三段リーグは始まる。」
「さてどうすればいいでしょう。」
(高以良)「いや……だからあの どうすればいいんですか。」
「知らない。」


前者が、遠距離になりそうなカップルの片方の台詞。
後者が、将棋のプロを目指す弟子へ向けた師匠の台詞。
どちらもかなりキツい。
 
そしてどちらも当然のごとく「答えは相手自身が考えて出すしかない」と思っている。そしてきっと答えを出してくるということを前提にしている。
 
矢野さんも師匠も、あまりにも当然のように、宮坂や弟子たちを信頼している。
あるいは、自身が相手にしてやれることの限界をわかっている。

 

どちらの場合も、相手が「なんてキツいことを言うんだ、付き合えない」と思って離れていく可能性が十分にある、冷徹だと思う。
しかし作中では、言われたほうは、言葉をしっかりと受け止め、迷走しながらもがく。
その、人と人の間にあるなんだかよくわからない強さが、とても魅力的だ。

柳沼くんと六見先輩の二人で恋バナしてほしい

柳沼くんとは『大上さん、だだ漏れです。』の柳沼慎一郎、六見先輩とは『私がモテてどうすんだ』の六見遊馬のことを指す。共に私の推しである。

思うに、キャラクターはあくまで架空の存在であるけれども、同時に、人間っぽい生身さを見出せるところにグッとくるものだと思う。

柳沼くんも六見先輩も、ファンタジーな存在である。二人とも作中の重要人物であるし、ヒロインが好きで、お付き合いできることが運命づけられた特権的なポジションに居る。また二人ともの特徴としては、天然属性があり周囲からは性欲無さそうに見られそうなのもファンタジックで良い。

ファンタジックで性欲なさそうな存在であるにも関わらず、二人ともに葛藤や欲といった人間らしさも描かれる。
共通するのは、ヒロインに惹かれるようになった後で自身の恋心を「これが恋だ」と追認識する初心さである。はじめての感情のゆらぎに対して後から名づけるというその青春のプロセスの甘さに称賛を送りたい。
個別でも言及したい。柳沼くんは作中で何度かヒロインに手を伸ばす。大上さんが悩まされている下心と同様に、「好きな人に触りたい」という衝動が彼を動かし、そして戸惑いをもたらしているという事に再びブラボーと言いたい。
六見先輩はひとたび付き合ってしまえば基本のスキンシップには躊躇ない(裏表のない率直さに王子様の風味が添えられて、それはそれで良い)が、兄との関係をはじめ、色々な葛藤を経ていることは10巻以上の物語で描かれた。

まあ要するに、格好いい王子様であり、かつ思春期の男子であるということが「架空かつ人間」らしきところであり、“良い”のである。
そんな二人の妖精ぶりと(多分に女子の妄想から生成された)男性ぶりをより引き立てるのが、例えば、「二人で恋バナ」だと思うのである。生々しい話とか「女の子って不思議だね」的な話とかしてたら超可愛いと思うのである。柳沼くんと六見先輩の二人で恋バナしてほしい。

読むことの意識が変わった話

ここ数年で、ものを読む姿勢が変わったというか、いろいろ感ずることが多くなった。
なぜかというと、おそらく、私自身が色々経験するようになったからだと思う。仕事も仕事以外のことも、厳しいことも含めて。

たとえば数年前の10月に、天神のパルコで漫画を買って読んだことをよく覚えている。史群アル仙の『臆病の穴』とかを読んだ。作品の内容よりも、読んだということ自体が印象に残っている。
なぜかというと、その時は主催のイベントが近かったから。プレッシャーに追い詰められるように、いわば現実逃避のために読んだ。当時は人の間にたってものごとをすすめることを初めてやっていたので、私は困惑していた。

学生の時には本当に困ったことがあったら話を聞いてくれる人がいたけれど、自分や周りが歳を取って生活のうちに労働の割合が高くなってくると、なんでもすぐに頼るわけにもいかない。それに守秘義務もある。
漫画を買って読むという行為はいつもどおりだったけれど、気持ち的には切羽詰まっている状況だった。

(漫画を買ってその足で飲食店に入って読んだ)店を出るころには不安は落ち着いていた。漫画を読んでも何も問題は解決しないといえばそうだけれども。創作物は人のエネルギーによって作られている。それに触れるというだけで、気持ちを切り替えられることもある。

あの時に初めて私は、純粋に「読む」ということ自体に救われたという感覚があった。

新しいことを経験していると、現実からの情報も創作物からの情報も、刺激に敏感になる。
色んなことをやってみることで、「読む」ということへの感覚が変わってきたのなら、それが収穫だと今は思っている。

2017年媒体まとめ(漫画とか)

新年明けました。2018年もよろしくお願いいたします。

画像は、昨年読んだ漫画リストです。
(画像右上クリックでポップアウトします…)*1

2017年に発行された漫画ではなく、あくまで「私が2017年に読んだ漫画」です。


2017年はだいたい100冊弱、45作家読みました。うち28作家は初読。2016年(27作家、うち7作家が初読)と比べると数が多く、より新しい漫画を読んだ年といえるでしょう。
読みたいものを読みたい時に、という基本方針は変わらずですが、好きな作品について語れる場が増えたことで開拓意欲が増しました。


昨年はなんといっても、トウテムポール先生の東京心中シリーズと出会ったことに救われました。
究極の理想(映像制作)を求める一方で、いまここにある生活(矢野さんとの生活)を愛しく思う感性に、勇気を貰います。ポール先生作品は読み味軽やかだけれど、人生の厳しさも愛も詰まってます。

小畑健作画・ほったゆみ原作『ヒカルの碁』も読み返しました。
ヒカルが消えた佐為を求め、出来ることをすべてやり、思いつく場所全てに行く。全てが終わってはじめて、佐為がいなくなったことと、そしてヒカル自身のなかに彼が居ることを受け入れる。まともな別れも出来ず、二度と会うこともない。ただ出来事を受け止め、人生が続いていく。喪失の本質を点いた表現に泣きました。

 

一年を振り返ってみるに、これからどうやって生きていくべきなんだろうかと思った年でありました。
そのせいか、人生の長さについての表現、ありふれているけれどかけがえのない存在についての表現により感応するようになりました。

 

 

TVアニメについて2017年に観たものは、クラシカロイド(1期)、けものフレンズリトルウィッチアカデミア有頂天家族2僕のヒーローアカデミア(2期)、DIVE!!、魔法陣グルグルキノの旅宝石の国おそ松さん(2期)でした。

映画は4本だけと殆ど観ず、
活字では千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』を繰り返し読んでいました。


あと将棋が好きになったのは幅が広がって良かったです。
勝ち負けがあるものに関心を持続的にもっているのは初めてかもしれません。


活動やら仕事やら人との出会いも色々ありましたがメディア的には2017年こんな感じかな。フィクションと推しの存在で私は生きてます!!ありがとう!!!

*1:同一タイトルを一度に複数巻読んでいる場合、最後の巻を読了したタイミングでカウントしています