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おそ松さんについてのノート1(5話感想)

アニメ『おそ松さん』5話「エスパーニャンコ」の話。※ネタバレ有 ※カラ松の話はややこしくなるのでここでは一切ないですごめんなさい(ガールズに任せた)

 

この話の中心は「一松」という子で主人公の6つ子のうち四男にあたります。
ちょっと紹介しておくと、彼は兄弟のなかでも何を考えているか分からない、少し謎めいたキャラというポジションを与えられていました。兄弟皆でハローワークに行くも、「意味ないから帰る」と言い出す(2話)ような皮肉屋で厭世的な面があり、母親や兄弟の前で自分のことを犯罪者予備軍と匂わせたり(4話)する。

キャラクターデザイン的にも、常に半目、姿勢が悪く髪がボサボサ。ジャージにサンダル姿、と全員無職の兄弟の中でもひきこもりっぽさがあります。
そして「猫が友達」という設定で、この「猫」が「エスパーニャンコ」の話を駆動するモノとなりました。


(下記右から2番目が一松)

 
エスパーニャンコ」は、実は一松がいかに繊細な子であるかということ、そんな一松をめぐる兄弟のありようについて、「もし猫が人間の気持ちを解し、言葉を喋ったら?」というIFを通じて描いた人情話なのです。

一松は実は人とのコミュニケーションが苦手な普通の子であり、他の兄弟もそんな彼を心配しているというとても優しいお話なのですが、ここではその見せ方がいかに上手で感動的だったという話をします。まぁ、というか、一松が可愛いし十四松は天使だという話です。

この話で決定的な見せ場は2つあり、ひとつは一松の本音が明かされるシーン、もうひとつが猫を家から追い出してしまった一松が、公園で猫と再会するシーンです。順番に語っていきます。

 

まずひとつめ、

ひょんなことから人の本心が読め、言葉を話せるようになった猫。

しかし、一松は兄弟の前で「友達なんかいらない」と毒づき、それを受けた猫に「本当はそんなこと思ってない」「なんで僕には友達ができないの」「怖いんだよな 人と距離を縮めるのが」「猫が友達だと楽でしょ」「(言葉が通じないし)だから傷つかないし」「あぁ、寂しい」という本音を暴かれてしまいます。ついでに、「友達なんかマジ要らねぇ、だって僕には皆がいるから」という、兄弟愛とも甘えともとれる本音も。

このシーンはかなりシリアスで、チョロ松を弄っていたほのぼのコメディから一転、ネガティブで核心を突く台詞が矢継ぎ早に繰り出され、一松の語気はどんどん荒くなっていきます。映像面でも、表情の伺えない一松と淡々と厳しいことを言う猫が交互に、徐々にアップになり、一松の心の深い部分にどんどん立ち入っていくような感覚を覚えます。
最後には「友達なんかマジ要らねぇ」と激昂し叫ぶ一松の口元が映し出され、ヒリヒリと息詰まる展開からついに爆発、しかし猫は彼のその言葉を「友達なんかマジ要らねぇ、だって僕には…」と補足。と同時にやっと部屋全体が映し出され、内省的な二人(一人と一匹)の世界から解放されます。突然に投げ込まれた「皆がいるから」という言葉に呆ける場。背中からのアングルため、兄弟の表情は見えません。あまりのことに驚き言葉が出ない一松(ここでやっと彼の表情が見れる)。

最早とりつくろいようのないほど曝されてしまう一松、……この話、容赦がない。

結局、激昂した一松は猫を追い出してしまいます。

 

そしてふたつめが、公園のシーンなのですが、ここでもう一人キャラを紹介します。
兄弟のなかでも最も直接的に一松のことを心配し行動を起こしたのが、「十四松」という6つ子の五男(上記画像の一番右)。彼は「明るい狂人」と公式で紹介されており、常に大口を開けて笑っており目の焦点が合っていない、脈絡なくドブ川をバタフライ泳ぎするなど(2話)、ブッ飛んだキャラクターです。

が、5話では節々で兄である一松を気遣う様子を見せます。そもそも、猫が喋るようになったのも彼が「友達が全然いない一松兄さんが、唯一の友達である猫と喋れるようになったら楽しいだろう」と思いついたのがきっかけでした。
一松が猫を追い出した時、彼はいままでで一番悲しい表情を見せます。ここまでの話数では判を押したように常に笑顔だった十四松ですが、ここにきて微妙な表情の変化をつけてきて、台詞無しでも十分に彼の気持ちが伝わってきて凄いです。(詳しくはこの記事とか参照

【おそ松さん】神回と評判の『エスパーニャンコ』十四松の細かい表情と感情の変化に注目!すごいぞ十四松! - おそ松さん


さて彼の意図に反して一松と猫は別れ別れになってしまうわけですが、飛び出した猫を陽が傾くまで必死で探して全身ボロボロになり、公園にいた一松のもとに連れてくるのが十四松なのです。その登場シーンは感動的で、夕陽に赤く染まった世界が感傷的ですごくベタなんだけども、見入ってしまいました。
それで十四松が連れてきた猫と一松が「ごめん」って言い合って、兄弟仲良く語らいながら家に帰って、それで終わりという(本当はもうひとつ大事な落ちがあるけどここでは長くなるので触れません……ごめん)それだけの話なのですが、その落ちに至るまでの描写がまた色々と面白くて。一松が本当に愛しくなるわけですね。

猫に一番思い入れがあるのは一松なのに、彼は捜すことをすぐ諦めてしまいました。ポケットに入れていた猫じゃらしも、「面倒くせぇ」と吐きながら捨ててしまいます。また、おそ松に「俺たち兄弟が猫を探すのを手伝わなくて本当にいいのか」と彼の意思を問う提案をしますが、一松はそれを断ってしまいます。さらには「飼い猫じゃないし死んでも関係ない」とまで言ってしまう。

彼は本当に臆病で不器用な子なんですね。「友達なんかいらない」と強がってしまうのも、本当は、周囲に対して何をどう表現したらいいか分からないだけなんでしょう。
おそ松に対して、本当は彼はこう言いたかったはず。「僕のせいで大事な猫が出て行っちゃったんだ。自分が悪いのは分かってる。かける言葉も見つからない。それでももう一度会いたいんだ。どうしよう。一体どうしたらいいと思う?」と。
ただ、それが言葉にならないのか、他人に投げかけるのが怖いのか。おそらく両方でしょう。自分の都合で他人を巻き込むことを躊躇ってしまうし、そもそも想像ができないんだと思います。

 
それに対して十四松の素直さというのが際立っていて、猫を一松に渡すまでのやりとりがまた良い。
無言で猫を一松に差出す十四松。素直になれず「なんだよ」と背を向ける一松。
ふいに十四松の口元がアップになり彼は口を閉じる(常に大口で笑っていたあの子が!)。
猫「ごめんね」
はっとして振り返る一松。十四松と猫を交互に見て、最後には「俺も…ごめん」と本心を自分の言葉で伝えることができました。

この「ごめんね」は、猫が発したものでもあり、十四松が発したものとも捉えることができるようになっています。
その直前の口を閉じるという動作により、「これは十四松の本音なんだな」ということが推察できるようになっています。
私は初見でこの「ごめんね」が誰のものなのか、一瞬混乱しました。十四松の声なのか、猫本人(?)の言葉なのか。もしや今まで猫が喋っていたことも全部十四松の腹話術?とか一瞬思ってしまうくらいに。
しかしおそらく猫は、声に出していない十四松の気持ちを一松に伝える役目を果たしました。猫はここまで必ず誰かが喋ったことを受けて本音に翻訳していたのですから、これは一種の奇跡でした。
 
この話の冒頭で一松は「自分だってまともに人と会話できないくせに」と十四松に言いました。その通り、十四松もまた不器用な子です。でも、一松のことを心配し、おせっかいを焼き、結果として彼を傷つけてしまったことについて自分から一歩踏み出して素直に気持ちを伝えました(声に出さなくても)。
「俺もごめん」って言えて、また猫に会えて、一松もほっとしているはずです。

……と、まあ、そんなこんなで『おそ松さん』にどはまりしてしまいました。笑
すっごい長男してたおそ松兄さんには触れられず、当然カラ松の話もありますし、「エスパーニャンコ」はここまで放送された『おそ松さん』全体のなかでも異色の人情話となっていて、作品全体のこととなると他にもたくさん考えられそうなことがあるんです、が、とりあえず一松愛と十四松愛を吐き出したかったので書きました。

かわいいなあ一松、すごい甘えっ子で。「僕には皆がいるから」ってすっげえ兄弟依存。やばい。ひねても良いことないし素直になれたほうが楽だよ~って言ってやりたい。