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おそ松さんについてのノート2(6話感想)

むつごが愛しい日々です。

6話を見て原作も読もうと決めたので感想メモ。

1話冒頭で「僕たち昭和のアニメだよ? 今更人気…出るかなぁ?」とチョロ松が心配していたけれども、
流行りのアイドルアニメ等に思いきり振り切ったパロディ、不条理ギャグ、人情話等を重ね、キャラを育ててここまでガッチリ人気の地盤を固めた末(カラ松スルーや十四松の卍固めなどすっかり安定した流れできてる感が。二次ではCPの呼称も定着感ありですし)のイヤミ回というのが味わい甲斐あるなと思って見ていました。

象徴的なのが、市役所のシーン。
競馬で負けて文無し状態になったイヤミは市役所に行ってまちのイメージキャラクターとして自分を売り込みに行きますが(この辺はゆるキャラブームを汲んだ流れでしょうか)、
決め技「シェー」を披露するも、スベる。舞台装置としてダヨーンまで使った全力の「シェー」、完膚なきまでにスルーされる。
チョロが心配していた通りに、イヤミは「古き良き昭和」で「過去の遺産」となってしまっていたのでした。
忘れられた名ギャグ、そういう意味ですごく哀れなシーンでもあるはず。でも、そういう風には見せない。これはイヤミ主役回なのです。平成27年のいまを生きる。

6話B「イヤミの大発見」は、「シェー」に限らず「前歯」「自称おフランス帰り(本当は行ったことない)」とイヤミのアイデンティティ(それこそ『おそまつくん』を読んだことも観たこともない私ですら知っているくらいの、強烈なアイコン)がすべて一度失われ、そして生き続ける話でした。そこに愛を感じた。

『おそまつさん』1・2話を観た時に、この「昭和や赤塚作品へのリスペクト」を持ちつつ「いま」を見ているようなバランス感覚が素敵だと感じたのですが、6話まできて、それを再確認しました。
私は「さん」から入った人なので、『おそまつさん』がどんな赤塚スピリッツを継いでいるかについては語れません。
それでも、オタクの心理を掌握した遊ばせ方や、シュールオチ、下ネタなどの冒険、小道具たちが垣間見せる現実ならぬ世界観(スマホや薄型テレビと、黒電話やちゃぶ台の共存など)などで十分に楽しませてもらえている。
そして2話のブラック工場、4話の扶養家族面接や5話ABパートで垣間見えるような毒が、強く効く。

お洒落でポップで楽しくて痛くて優しい、全力でモラトリアムできる『おそまつさん』の世界が愛しいなと思うのです。
この世界が何を描こうとしているのかよく知りたい。じゃあ原作読んでみようか、と。

 

……にしても、いつから決まっていたのかと突っ込みたくなるタイミングの2クール発表、女子を茶化すように兄弟自ら提案してくるケツとか、ほんっと良いように踊る舞台を用意されてる感がなぁ……!!(楽しいです)