おそ松さんについてのノート5(13話感想と、闇のない松野一松について)

13話の感想を現場で壁打ち。

「ちっぽけな人間が生きることにあらかじめ用意された意味なんかない。それにも関わらず、どんな夜にもまた陽は昇る」。本当に本当に良い最終回でした(私は13話を、「もしも松が1クール放送だった場合の最終回」だったのだと勝手に思っています)。

私の見たかったものを見せてくれて、感謝しています。死ぬほど笑いながら、死ぬほど萌えながら観た13話のあと、不思議と私の心は穏やかです。そして感想の第一声は「あー トド松ありがとう」でした。

 

まず、Aパート「実松さん」。酷い。酷すぎる。40手前彼女なし男の悲哀とみじめさと侘しさ。そして、ささやかな幸せ。そこにはただただ空っぽになって時間が過ぎゆくのを待っているだけの人間の姿があり、苦楽を分かち合う兄弟だけが癒しとなり生きる糧とする男の姿があった。
これは、ニートの6つ子達のリアルな人生なんでしょうか。それとも、深夜アニメを生きる糧にしている視聴者の写し絵なんでしょうか? どちらにしろ精神攻撃が酷すぎます。2話から12話までこの方、うわごとのように繰り返してきた「おそ松さんは現実」を、本当に公式がやってくれたのです。予想以上の痛々しさで。
私は笑いながら観ました、初見。「いやいやいやwwwwかわいい六つ子ニートは何処にいったし、何を見せられてるのか分からないしwwwwww」。六つ子の等身変更で20分間突っ走った1話が思い出され、画面の薄汚れぶり、実松の気持ち悪さ、それでも彼が松の名を持つ人間であることや、聞きなれたBGM、チャンネルが合っていることによってこれは「おそ松さん」の一部であると認識して、私は笑っていました。食卓風景やスーパーで食材を買う場面が、過去放送とオーバーラップし、「おそ松さんであっておそ松さんで無い、滑稽な、すごく切実そうな何か」を観て、私は笑っていました。同時に、実松が私と近い何かであることを感じていました。「私は実松だったかもしれない」んです。なんなら、私の身近に居る人々や、私の一部分だって、「こんなところは俺の居場所じゃない」って他人の視線を背中に受け息をひそめながら、そして「やっぱりここは俺の居場所だ」って温かい布団にくるまりながら、日々をやりすごしているんじゃあないか?
実松は、幸せなんでしょうか? その答えは人によって異なると思います。でも一つだけ確かに言えるのは、そこにある寂しさ。人付き合いの苦手な彼を案じて家まで尋ねに来てくれた彼女は、真実を、理解しがたい実松の日常を見て、叫ぶ。彼女と実松が理解しあう機会を与えられぬまま、「実松さん」第3話は幕を閉じる。*1

 次にBパート「じょし松さん」。これは、私は比較的ライトに観ました。とはいえ変化球に次ぐ変化球!! 女体化の噂はきいたものの、本当に汚い女子化で酷かったです。あ、褒めています。10話のイヤ代やチビ美で、「その気になれば可愛く消費されうる女体化デザインは可能」だということは実証済みにも関わらずというか逆手に取ってというか、この6つ子(彼女らは姉妹でなく友達設定なのですが、そんなことはともかく名前と声と特徴が6つ子なので)、普通にどっかに居そうだし普通に汚い。痛い。汚いぞ女子は。たくましい。人間だからな。

そして本編Cパート、そして新OP。
ABが波乱すぎて、6つ子が6つ子をやっているだけで安心する。が、ネタ自体は事故案件。面白くないわけない。本当に本当に可愛かった、喧嘩して軽率に互いの傷を抉りあう6つ子。全員について言及しようとすると収集つかないので、一つだけ言いたいことを言います。今回トド松が一松を弄ったことで、一松を好きな私が救われた気持ちです。ありがとう。

そもそも5話の後からずっと私はもやもやしていたんです。エスパーニャンコ回で一松は「本当は友達が欲しい、寂しい」「兄弟がいるから友達は要らない」って言っていたわけです。相反するようだけど、両方本音です。そのSOSに対して、誰も応えてはいないまま一見「良い話風」に5話はオチたと私は感じていました。
カラ松以外の全員がしっかりとその言葉を聞いているはずなのですが、寧ろ、何事も無かったかのように「家に帰ろう」とおそ松兄さんは言いました。「何を考えているのか分からない危険人物」という仮面は剥がれたのに、兄弟は丁寧に素顔を見ないようにして、そっと仮面を着けなおしてくれました。一松がそうして欲しがっていることを察して。
一松はこう考えてるんじゃないでしょうか。あらかじめ自分のことを「底辺」で「燃えないゴミ」だと教えてやっておけば、頑張らなくていい、下手に傷つかない。このままでいい、どうせダメなんだし、最初からお互いに変な期待は捨て置く。だからなりふり構わないパフォーマンスも可能。いっそ開放感。うっかり取り落とした仮面を着けなおし、言葉にならない気持ちを溜めこんだ一松は、ひと時のパフォーマンスで生きていることを確かめる。
でも彼は、トド松を貶めながら、十四松と野球をしながら、チビ美に裏切られながら、やっぱり「友達が欲しい」「あぁ、寂しい」と思っているはずなんです。十四松だって、彼女に告白したいと思った。外の世界を望んだ。それなら一松だって、自分が抱えた不全感を、甘ったれの自分への懲罰を、漠然とした寂しさを、忘れてしまった訳ではないでしょう? 人と触れ合いたい、だから「まだジュース残ってる」って残念そうに言うんでしょう?
 5話以降、11話までの一松は、仮面が仮面であることを暴かれたまま、それを被り続けていました。兄弟(カラ松以外)がそれを察してくれるから。本音を言う必要なんて無いから。

 でもそれって酷くないですか?
 彼はあんなにはっきりと「あぁ寂しい」って言ったんですよ。まあ、「あぁ寂しい」はあくまでニャンコの台詞としてさて置いたとしても、(カラ松以外の)兄弟の前で、「俺も、ごめん」っていう言葉を、自分の口で、言ったんです。不器用で自信がない彼が、自分の気持ちに衒いのない言葉を、勇気を出して。それを口にすることで、「ニャンコに暴かれた本音全部は自分のものだ」「僕は普通だ」と認めてしまった。
 本音が届いて他人と意思疎通ができた瞬間っていうのは、すごく美しい体験のはずで。だから5話は感動的だったし、松野一松は帰り道に涙した。でもその意思疎通は、美しさは、5話というドラマにおいては「夕焼けをバックにした一松と、その腕に抱かれるニャンコ」という一枚の画に凝縮されていた。されてしまった。兄弟は、「(猫が)見つかって本当に良かった」「(猫が)いなくなったときはどうしようかと思った」と言いながら帰った。彼らは一松に、仮面を再び被るように促した。
*2
何度も言いますが、一松は、兄弟の前で、ボロボロの本音を曝け出したんです。その勇気を、兄弟は、蔑ろにしたんじゃあないですか? それって、酷いことだと思いませんか? 私は多分、そこに納得がいかなかった。

そこで、トド松です。「絶対弄っちゃだめ、殺しにくるよ」「一松兄さんに友情とか無いって」「サスペンス妄想は止めて、闇松兄さん」トド松はこれまで、一松が望んでいる扱い、キャラ付けを精確に補強してくれていました。察する能力が高いトド松だからこそ、一松のキャラを理解した応酬が出来たのでしょう。5話の帰り道では、いつもと様子の違う兄に対して「あれ?一松兄さん泣いてるぅ?」と茶化すような調子で声をかけます。彼も、一松が滅多に出さない素直さにいちおう反応はしつつも、うやむやにすることを選んだのです。

ここでやーーっと13話の話ができるわけですが、まぁ、今回トド松は一松に対して、エスパーニャンコ回を引き合いに出して、「闇キャラ作ってるけど普通じゃんwwwwワラ」って言ってくれたわけです。それは私には、5話以来はじめての、一松の勇気への応答にみえました。それがディスりだろうと、いいんです。どんなはぐらかしよりも、本音に対して返って来た本音のほうが、価値があります。トド松が「一松兄さんは痛い」と名指してくれたことが、私は嬉しかった。
 しかも、トド松が一松のマネをしだした時、私は「友達が欲しい」の台詞を弄ってくるんだと瞬間的に思いました。ところが、奴はあろうことか「俺も、ごめん」の方を選んできたんです!!! 参りました。一番美しかったあの場面の台詞、一松が唯一、他者に伝えたくて、自分の口で、自分の本音を喋った、その台詞を選んでくるとは。そっちのほうがダメージでかいわ。トド松お前、頭良いよ。
あと、それから一松は、服を持ち去る+エロコレクションを曝すという、彼らしい地味な嫌がらせ、ささやかな仕返しをした訳ですが。ちっっせえ反抗だけどさ、お前もしぶとさあるよね。Spoonで松原さんが「男兄弟のなかで育ったから弱々しいだけじゃない」って言ってたもんね。そういう一松の生命力とか、他の5人それぞれの生命力とかが感じられるCパートだったよ。

 闇の浅い松野一松、愛しい。
 一夜明けての朝食風景、いつも通り。何度も何度も繰り返してきた喧嘩、夜と朝、それは日常、それは地獄、それは安寧、それは日常。なんだよ実松じゃん。

 からの「全力バタンキュー」だから、最高なんだよ。「どんな夜もまた陽は昇る」。実松というある種救いのない人生を見せた回で、6つ子がそれぞれの傷に塩を塗りあう喧嘩をした回に、そんな歌をのせるんですよ。
 もっと言うと映像もすごく良くて、6つ子はさまざまな障害に遭いつつもスルーして走り続けるし、裸になるし、皆の先頭に立つし、画面にめちゃくちゃ寄ってくるくらい全力だし。赤子のようになって地球に受精する6つ子→太陽系→を掌中に収めるダヨーン→が漂う広大な宇宙に謎の光→が、6つ子が浸かる銭湯の泡になる、のが最高。「ちっぽけな人間がただ裸で生きている、宇宙の神秘、そんなことに関わらず、6つ子は今日もバカ」「どんな夜にもまた陽は昇る」
「総じて完璧ソサエティー、タイトルはおそ松さん」!!!!

 本当に良い最終回だった。ありがとう。おそ松さんはよく出来たアニメだ。

え? 違う、これ2クール開始一発目の放送だって? これ以上何をやるっていうんだよ、ありがとう最後まで着いていきます!!!

*1:知人と話していて別の解釈が出てきました。彼女は、兄弟と幸せな時を過ごす実松の姿を見て、自分が狂っているのかもしれない恐怖をおぼえたのかもしれません。実際、実松と彼女と、どちらが正気かなんてわかりません。そして、彼女とは、おそ松さんを観ている私たち?

*2:十四松と一松の間にすら、そこに意思疎通はあったのでしょうか。彼らのコミュニケーションは非言語の馴れ合い的なものが多いです。ニャンコの最初の「ごめんね」は十四松の本音で、一松に向けられたものであることは間違いないとみているけれど、一松の「俺も、ごめん」は、いったい十四松に届いたのか?