買った本(2015年12月)
2016年は今より現代思想に強くなりたい
暗殺教室 17 (ジャンプコミックス) 終盤に向かっている。今巻も素晴らしいラストでした
おそ松さんの情報掲載誌
Animege(アニメージュ) 2016年 01 月号 [雑誌]
アニメディア 2016年 01 月号 [雑誌](メージュと間違えて買った)
spoon.2Di vol.9 表紙巻頭特集「K RETURN OF KINGS」/Wカバー「おそ松さん」 (KADOKAWA MOOK)
私がその本を買った理由(2015年11月)
購入記録。
職場の先輩が面白いと言っていたので。読み心地が小説みたいでした(魅力の肝が画や台詞よりもストーリーにあるからか)僕だけがいない街 コミック 1-6巻セット (カドカワコミックス・エース)
アニメ化おめでとうございます。大事に育てて後に残る作品にしてほしい僕のヒーローアカデミア 6 (ジャンプコミックス)
おそ松さんのために購入。アニメ誌、読んだことはあっても自分で買ったのは初めてです。貴重な一次資料。Animege(アニメージュ) 2015年 12 月号 [雑誌]
この選書も暗におそ松さんの影響が表れています。男の操 (ビッグコミックススペシャル) ギャグはかくも人生を語り得るのか。
文学フリマ東京前日、アニメイト池袋店へおそ松さんミュージアムに行ったときに。特典でキャラブロマイドもらえた(絵柄はおそ松でした)。巻数は適当。おそ松くん (11) (竹書房文庫) おそ松くん (14) (竹書房文庫)
今年は國分功一郎『来るべき民主主義』も読みましたぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)
Lifeイベントの帰りに購入。黒幕が紹介されていた現代思想の冒険 (ちくま学芸文庫)
おそ松さんについてのノート2(6話感想)
むつごが愛しい日々です。
6話を見て原作も読もうと決めたので感想メモ。
1話冒頭で「僕たち昭和のアニメだよ? 今更人気…出るかなぁ?」とチョロ松が心配していたけれども、
流行りのアイドルアニメ等に思いきり振り切ったパロディ、不条理ギャグ、人情話等を重ね、キャラを育ててここまでガッチリ人気の地盤を固めた末(カラ松スルーや十四松の卍固めなどすっかり安定した流れできてる感が。二次ではCPの呼称も定着感ありですし)のイヤミ回というのが味わい甲斐あるなと思って見ていました。
象徴的なのが、市役所のシーン。
競馬で負けて文無し状態になったイヤミは市役所に行ってまちのイメージキャラクターとして自分を売り込みに行きますが(この辺はゆるキャラブームを汲んだ流れでしょうか)、
決め技「シェー」を披露するも、スベる。舞台装置としてダヨーンまで使った全力の「シェー」、完膚なきまでにスルーされる。
チョロが心配していた通りに、イヤミは「古き良き昭和」で「過去の遺産」となってしまっていたのでした。
忘れられた名ギャグ、そういう意味ですごく哀れなシーンでもあるはず。でも、そういう風には見せない。これはイヤミ主役回なのです。平成27年のいまを生きる。
6話B「イヤミの大発見」は、「シェー」に限らず「前歯」「自称おフランス帰り(本当は行ったことない)」とイヤミのアイデンティティ(それこそ『おそまつくん』を読んだことも観たこともない私ですら知っているくらいの、強烈なアイコン)がすべて一度失われ、そして生き続ける話でした。そこに愛を感じた。
『おそまつさん』1・2話を観た時に、この「昭和や赤塚作品へのリスペクト」を持ちつつ「いま」を見ているようなバランス感覚が素敵だと感じたのですが、6話まできて、それを再確認しました。
私は「さん」から入った人なので、『おそまつさん』がどんな赤塚スピリッツを継いでいるかについては語れません。
それでも、オタクの心理を掌握した遊ばせ方や、シュールオチ、下ネタなどの冒険、小道具たちが垣間見せる現実ならぬ世界観(スマホや薄型テレビと、黒電話やちゃぶ台の共存など)などで十分に楽しませてもらえている。
そして2話のブラック工場、4話の扶養家族面接や5話ABパートで垣間見えるような毒が、強く効く。
お洒落でポップで楽しくて痛くて優しい、全力でモラトリアムできる『おそまつさん』の世界が愛しいなと思うのです。
この世界が何を描こうとしているのかよく知りたい。じゃあ原作読んでみようか、と。
……にしても、いつから決まっていたのかと突っ込みたくなるタイミングの2クール発表、女子を茶化すように兄弟自ら提案してくるケツとか、ほんっと良いように踊る舞台を用意されてる感がなぁ……!!(楽しいです)
おそ松さんについてのノート1(5話感想)
アニメ『おそ松さん』5話「エスパーニャンコ」の話。※ネタバレ有 ※カラ松の話はややこしくなるのでここでは一切ないですごめんなさい(ガールズに任せた)
この話の中心は「一松」という子で主人公の6つ子のうち四男にあたります。
ちょっと紹介しておくと、彼は兄弟のなかでも何を考えているか分からない、少し謎めいたキャラというポジションを与えられていました。兄弟皆でハローワークに行くも、「意味ないから帰る」と言い出す(2話)ような皮肉屋で厭世的な面があり、母親や兄弟の前で自分のことを犯罪者予備軍と匂わせたり(4話)する。
キャラクターデザイン的にも、常に半目、姿勢が悪く髪がボサボサ。ジャージにサンダル姿、と全員無職の兄弟の中でもひきこもりっぽさがあります。
そして「猫が友達」という設定で、この「猫」が「エスパーニャンコ」の話を駆動するモノとなりました。
(下記右から2番目が一松)
「おそま通信」第5号では、6つ子の私服姿が大公開!さらに小野大輔さん、入野自由さん、そしてフジオプロ桑原さんからの熱いコメントが掲載されています!赤塚先生の名言も重みがあります…!ぜひ読んでみてくださいね☆ #おそ松さん pic.twitter.com/zjnS1r8jEb
— TVアニメ「おそ松さん」公式アカウント (@osomatsu_PR) 2015, 8月 16
「エスパーニャンコ」は、実は一松がいかに繊細な子であるかということ、そんな一松をめぐる兄弟のありようについて、「もし猫が人間の気持ちを解し、言葉を喋ったら?」というIFを通じて描いた人情話なのです。
一松は実は人とのコミュニケーションが苦手な普通の子であり、他の兄弟もそんな彼を心配しているというとても優しいお話なのですが、ここではその見せ方がいかに上手で感動的だったという話をします。まぁ、というか、一松が可愛いし十四松は天使だという話です。
この話で決定的な見せ場は2つあり、ひとつは一松の本音が明かされるシーン、もうひとつが猫を家から追い出してしまった一松が、公園で猫と再会するシーンです。順番に語っていきます。
まずひとつめ、
ひょんなことから人の本心が読め、言葉を話せるようになった猫。
しかし、一松は兄弟の前で「友達なんかいらない」と毒づき、それを受けた猫に「本当はそんなこと思ってない」「なんで僕には友達ができないの」「怖いんだよな 人と距離を縮めるのが」「猫が友達だと楽でしょ」「(言葉が通じないし)だから傷つかないし」「あぁ、寂しい」という本音を暴かれてしまいます。ついでに、「友達なんかマジ要らねぇ、だって僕には皆がいるから」という、兄弟愛とも甘えともとれる本音も。
このシーンはかなりシリアスで、チョロ松を弄っていたほのぼのコメディから一転、ネガティブで核心を突く台詞が矢継ぎ早に繰り出され、一松の語気はどんどん荒くなっていきます。映像面でも、表情の伺えない一松と淡々と厳しいことを言う猫が交互に、徐々にアップになり、一松の心の深い部分にどんどん立ち入っていくような感覚を覚えます。
最後には「友達なんかマジ要らねぇ」と激昂し叫ぶ一松の口元が映し出され、ヒリヒリと息詰まる展開からついに爆発、しかし猫は彼のその言葉を「友達なんかマジ要らねぇ、だって僕には…」と補足。と同時にやっと部屋全体が映し出され、内省的な二人(一人と一匹)の世界から解放されます。突然に投げ込まれた「皆がいるから」という言葉に呆ける場。背中からのアングルため、兄弟の表情は見えません。あまりのことに驚き言葉が出ない一松(ここでやっと彼の表情が見れる)。
最早とりつくろいようのないほど曝されてしまう一松、……この話、容赦がない。
結局、激昂した一松は猫を追い出してしまいます。
そしてふたつめが、公園のシーンなのですが、ここでもう一人キャラを紹介します。
兄弟のなかでも最も直接的に一松のことを心配し行動を起こしたのが、「十四松」という6つ子の五男(上記画像の一番右)。彼は「明るい狂人」と公式で紹介されており、常に大口を開けて笑っており目の焦点が合っていない、脈絡なくドブ川をバタフライ泳ぎするなど(2話)、ブッ飛んだキャラクターです。
が、5話では節々で兄である一松を気遣う様子を見せます。そもそも、猫が喋るようになったのも彼が「友達が全然いない一松兄さんが、唯一の友達である猫と喋れるようになったら楽しいだろう」と思いついたのがきっかけでした。
一松が猫を追い出した時、彼はいままでで一番悲しい表情を見せます。ここまでの話数では判を押したように常に笑顔だった十四松ですが、ここにきて微妙な表情の変化をつけてきて、台詞無しでも十分に彼の気持ちが伝わってきて凄いです。(詳しくはこの記事とか参照
【おそ松さん】神回と評判の『エスパーニャンコ』十四松の細かい表情と感情の変化に注目!すごいぞ十四松! - おそ松さん)
さて彼の意図に反して一松と猫は別れ別れになってしまうわけですが、飛び出した猫を陽が傾くまで必死で探して全身ボロボロになり、公園にいた一松のもとに連れてくるのが十四松なのです。その登場シーンは感動的で、夕陽に赤く染まった世界が感傷的ですごくベタなんだけども、見入ってしまいました。
それで十四松が連れてきた猫と一松が「ごめん」って言い合って、兄弟仲良く語らいながら家に帰って、それで終わりという(本当はもうひとつ大事な落ちがあるけどここでは長くなるので触れません……ごめん)それだけの話なのですが、その落ちに至るまでの描写がまた色々と面白くて。一松が本当に愛しくなるわけですね。
猫に一番思い入れがあるのは一松なのに、彼は捜すことをすぐ諦めてしまいました。ポケットに入れていた猫じゃらしも、「面倒くせぇ」と吐きながら捨ててしまいます。また、おそ松に「俺たち兄弟が猫を探すのを手伝わなくて本当にいいのか」と彼の意思を問う提案をしますが、一松はそれを断ってしまいます。さらには「飼い猫じゃないし死んでも関係ない」とまで言ってしまう。
彼は本当に臆病で不器用な子なんですね。「友達なんかいらない」と強がってしまうのも、本当は、周囲に対して何をどう表現したらいいか分からないだけなんでしょう。
おそ松に対して、本当は彼はこう言いたかったはず。「僕のせいで大事な猫が出て行っちゃったんだ。自分が悪いのは分かってる。かける言葉も見つからない。それでももう一度会いたいんだ。どうしよう。一体どうしたらいいと思う?」と。
ただ、それが言葉にならないのか、他人に投げかけるのが怖いのか。おそらく両方でしょう。自分の都合で他人を巻き込むことを躊躇ってしまうし、そもそも想像ができないんだと思います。
無言で猫を一松に差出す十四松。素直になれず「なんだよ」と背を向ける一松。
ふいに十四松の口元がアップになり彼は口を閉じる(常に大口で笑っていたあの子が!)。
猫「ごめんね」
はっとして振り返る一松。十四松と猫を交互に見て、最後には「俺も…ごめん」と本心を自分の言葉で伝えることができました。
この「ごめんね」は、猫が発したものでもあり、十四松が発したものとも捉えることができるようになっています。
その直前の口を閉じるという動作により、「これは十四松の本音なんだな」ということが推察できるようになっています。
私は初見でこの「ごめんね」が誰のものなのか、一瞬混乱しました。十四松の声なのか、猫本人(?)の言葉なのか。もしや今まで猫が喋っていたことも全部十四松の腹話術?とか一瞬思ってしまうくらいに。
しかしおそらく猫は、声に出していない十四松の気持ちを一松に伝える役目を果たしました。猫はここまで必ず誰かが喋ったことを受けて本音に翻訳していたのですから、これは一種の奇跡でした。
「俺もごめん」って言えて、また猫に会えて、一松もほっとしているはずです。
……と、まあ、そんなこんなで『おそ松さん』にどはまりしてしまいました。笑
すっごい長男してたおそ松兄さんには触れられず、当然カラ松の話もありますし、「エスパーニャンコ」はここまで放送された『おそ松さん』全体のなかでも異色の人情話となっていて、作品全体のこととなると他にもたくさん考えられそうなことがあるんです、が、とりあえず一松愛と十四松愛を吐き出したかったので書きました。
かわいいなあ一松、すごい甘えっ子で。「僕には皆がいるから」ってすっげえ兄弟依存。やばい。ひねても良いことないし素直になれたほうが楽だよ~って言ってやりたい。